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共感とは、疲労や筋硬直といった記号化した言葉への理解ではなく患者さん個々のエピソードを追体験すること

政治家による、性的少数者や同性婚に対する差別的で偏狭な視点が問題になっています。

ただ、政権与党の政治家のほとんどは、ジャーナリストの安藤優子さんの著書にある「イエ中心主義」にほぼ結党時から変わらず支配されている訳で、彼らの思想上は筋違いでも何でもなく、昔から変わらず首尾一貫しているのでしょう。

とはいえ、55年体制以降変わらずに来たものも、世の中が変わってきているのだから、変えなければと言う議論さえ起きない政党が相変わらず社会をリードしているのは、どうにも不思議でなりません。

一方で、わたしたちの視点はどうなのか。

「多様性」ということは言われて久しいですが、まだまだ日本では定着していない様に感じることは少なくありません。

外人、女性、子供、という言葉で一括りにする考えもそのひとつです。

国籍が日本ではない国内在留者にもさまざまなバックグラウンドの方がいて、それぞれに事情や考え方も違います。

女性も然り、子供も然り。

法政大学前総長の田中優子さんは、総長時代に出したダイバーシティー宣言で、「相違を個性として尊重し、互いの立場や生き方、感じ方、考え方に耳を傾け、理解を深め合うことは、安心して創造的に、学び、働き、それぞれの個性を伸ばせる場であるために必須だ」と記したそうです。

多様性を認め合うことは、ヒトに自分の価値観を強制しないことです。

そのためには、個々のヒトが持っている価値観を認識し、その価値観から見た世界に自分の思いを馳せてみることが必要だと考えます。

この「ヒトの価値観で世界を見ること」は、そのヒトの感じ方や経験への共感に繋がります。

共感ができたときに、ようやく2者が分かり合えるのではないでしょうか。

 

医療の世界では、さまざまな症状や患者さんの受ける生活上の支障がテキスト化されて、医療提供者をはじめとするステイクホルダーに情報として共有され、活用されます。

診療ガイドラインやインターネット上の病気の解説には、そうした言葉・・・「著しい痛み」「激しい疲労感」「筋肉のこわばり」など記号化された言葉・・・がいっぱい並びます。

わたしたちの誰もが、この言葉を読むことで患者さんの痛さや辛さを理解したと勝手に解釈します。

でも、実はこれは表面的な理解であって、決して本当の理解ではありません。

なぜならば、患者さん個々にそれぞれが抱える事情や経緯があり、同じ「痛み」でも感じ方は異なります。

同じ「筋硬直」でも影響の大きさは違います。

こうした個々の様々なエピソードを知った上で語る「痛み」や「硬直」に対する対処法は、限局的ではなく柔軟性があるはずです。

 

個々のエピソードに想いを馳せることが『共感』です。

 

現代は『共感』が求められている、と言われています。

『共感』にはゆとりや時間が必要ですが、積極的に耳を傾ける努力は他の何者にも変えられない価値を提供してくれる、と信じています。

 

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