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考えるチカラをどう鍛えるか

最近、マーケティング・トレーニングのご相談を受けているときに事務局の皆さまから発せられるリクエストに、「考えるチカラを鍛えたい」というものが増えています。

マーケティングの仕事をしていて考えていない、というシーンはまずあり得ないでしょう。
多くのマーケターの方々が日常的に頭を悩ませること、例えば「もっとウェビナーに参加いただくために魅力的なトピックスはないのか」、「少しでも斬新さをアピールできるイノベーティブなプロモーションにはどんな方法があるのか」といった事も「考える」という動作に違いないのですから。

ではなぜ、ことさらに「考えるチカラ」なのか・・・

お話ししていて気付くことは「こんなこと考えてくれないか」「これを改善するにはどんな手法があるかな」と問われると、その解決方法、つまりHOWを「考える」のは得意だけれど、課題やニーズが何なのか(WHAT)、その課題がなぜ発生しているのか(WHY)、といった、前提に対する答えを出す、というプロセスの前の段階から「前提を疑って一連を考える」ということを経験する機会がない、という事が大きいのではないか。
つまり、『解決策の前提となる課題の存在や内容、その課題の原因を解くチカラ』としての考えるチカラが求められているのではないか、という点です。

実は、むかしの西洋社会での論理学は「問いかけから答えを導く方法」を意味していたと言います。
なぜならば、特にキリスト教と政治や社会が一体化していた時代には、何かしらに疑問を抱いて問いを提示することは、神の創りたもうた世界に対して疑いを抱く事になると考えられていたから、だそうです。
ですから、答えを出すための前提として「課題」があるとすれば、それ自体が正しいのかを検証したり発生原因を探ることは論理学、つまり「考える」という作法の範疇に入っていなかった事になります。

この段階を含めて物事を「考える」ことが論理学だ、と最初に定義したのはデカルトだと言われます。

もしかすると、わたしたちの中に「前提は一先ず(疑うことなく)そのまま受け入れて、答えを出すのが考えることだ」という所作が、長い長い人間の歴史の中でいつの間にかDNAとして組み込まれているのかも知れない、などと歴史文化学的な想像にまで及んでしまいます。

だとしたら、「考える」という所作を学ぶためには、今一度目の前で起きていることに興味や疑いを持ち、どんな課題やニーズが起きているのか、それがなぜどんな瞬間に何を原因に発生したのか、という観察や分析に意識を集中させてみる事が「考えるチカラ」を鍛えることにつながるのではないか。
OODAサイクルの最初に『Observation』が、APEC(Analysis/Planning/Execution/Control)サイクルの最初に『Analysis』があるのは、やはり必然的なのだという思いに至っています。

新年の始めに、こんなことを考えていました。

今年もよろしくお願いいたします!

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