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いまに想う。

2019.02.06

こんにちは、トランサージュ・瀧口です。

 

早いもので、2019年に入り1ヶ月があっという間に過ぎ、2月になりました。

今週は仕事をしているともったいないと感じてしまうような、穏やかな日があったり、

また急に寒さが戻ったりで「春が近いのかな」と感じます。

 

さて、いつの時代もニュースは不穏だったり、不運だったりというものが多いのですが、

最近も日韓や米中関係など国際問題やイジメ、父親のDV殺人など穏やではないニュースが後を絶ちません。

イギリスのブリグジットもどこへ向かって行くのか、着地点が見えにくい状況になっています。

 

大坂なおみや香川真司といった若い(私に比べると香川くんも十分すぎるほど若いです・・・)アスリートの

活躍するニュースがほぼ唯一気持ちを明るくしてくれるニュースですね。

 

ブリグジットは移民問題に端を発した自国主義への先祖帰り的転換と見ることができますが、

その他でもポピュリズムやらネオナショナリズムやらいろいろなkatakanaが踊ります。

アメリカや中韓から送られてくる様々な政治報道はどこか短絡的で子供っぽく映り、

21世紀の世の中に「大人の民主主義」はどこへ行ってしまうのか、不安を感じます。

足元でも、かの副総理の相変わらずの発言や態度を含め、この国のこれからをリードするはずの人たちの”我が物”ぶりは、

これらの国のリーダーの姿に重なり合います。

 

些細なことですが、街で人とすれ違ったり電車でつり革に掴まっていてもこの国の未成熟さに出会います。

たとえば一言も発せず人の背中を無理やり押して通り過ぎる人がなんと多いことか・・・。

おそらく「すみません、通ります、降ります」というたった一言で、周りの気分も違うのでしょうが。

先日の新聞に外国人の方から”日本人の特性だ”と語っているといった記事がありましたが、

私はそんな風にも思わないのです。だって、昔はどんな些細な風景にもそんな会話が聞こえていたのですから。

 

自分が一番、他人は他人。自己責任だよ・・・。

と言いながら、子供還りしている社会人が増殖中。

そんな風潮がいま世界中に吹き乱れている様な気がします。

 

その昔ルドルフ・フォン・イェーリングが著した「権利のための闘争」は、

個々人も自分の権利を獲得するためには発言する義務があると主張しました。

この主張は彼の語る「闘争」ですが、民主主義的な闘争とは、

自由を獲得するために”相手へのリスペクトを孕んだ対話”なのではないか、とは私の曲解でしょうか。

少なくとも、どこかの国のリーダーのようにハナから闘争的な態度をとることは、対話ではないはずです。

 

イェーリングの「権利のための闘争」にはその主張が含まれているのではないでしょうか。