2017.02.26
こんにちは。
トランサージュの瀧口です。
今日もこちらのブログをご覧いただきありがとうございます。
先日、ある街で開催された市民講座に参加してきました。
「看取りに関するお話」で在宅医療が話の中心でした。
そこで感じたことをお話しすると、
市民向けの講座であるはずが、
それぞれの演者が嚥下、ADLなど一般に馴染みのない医療用語を連発し、かつ話が長かったこと、
壇上の先生方同士で対話は良いとしても、診療上の課題を質問し合っていたこと、
そもそも、参加する市民に何を記憶にとどめて欲しいのか、ゴールが曖昧だったこと。
などなど、市民とのコミュニケーションとしては課題が多いなという印象でした。
これが特異な事例ではなく、
おそらくあちこちの街で、同様なのだと思います。
中央の殿様、つまり政府が、家老、つまり都道府県に対して
「社会保障制度はこのまま進むと破綻するから、地域包括ケアシステムを推進して持ちこたえてくれ」
と言っています。
家老たる都道府県は、奉行たる市区町村へ、同じ言葉をそのまま伝えます。
奉行の市区町村も、どうやって実現させたらわからないので、
街の智慧者である、与力(地区医師会)や足軽(中核病院)にわずかな穀(予算)を与えて「お願いします」と懇願している。
こんな有名な逸話があります。
それは、火災が多かった江戸の町火消しの話です。
風のつよい日、殿様が家老に「火の用心」をいいつけた。
家老は奉行に、奉行は与力に、与力は足軽に、逐次「火の用心」を伝えた。
その夜、火が出て城は丸焼けになった。
確かに、地域包括ケアは、社会保障制度にとって、福音になる可能性は持っています。
ただ、残念ながら現状では、推進役も責任分担も不明で、まともに予算も付いていません。
そんな中で、成功事例があるのだから頑張れ、だけでは進みはずもありません。
まず、市民に理解がありませんし、理解を進める機運もありません。
本当に理解を進めようとするならば、
もっともっと状況や機能をわかりやすく、
例えば在宅医療のは何か、から始めるべきなのではないでしょうか。
在宅医療という言葉一つ、看取りという言葉一つをとっても、その理解は千差万別です。
「そんな言葉くらい、おじいちゃんやおばあちゃんでも知っているでしょ」と簡単に仰るかもしれませんが、
おそらく、その言葉自体への理解は想像を絶するほど異なっているはずです。
何故ならば、誰もしっかりと教えていないし、教わっていないのですから。
その一つ一つの意味を確認し、理解を進めてゆく作業から、まずは始めることが大事だと考えます。
市民がそれを理解し、医療職者の悩みも共有したときに、初めて在宅医療の活用が進むのだと考えます。
そのために出来ることはあります。
ドクターや訪問看護師の方々が一方的に話すセミナーではなく、
気軽に市民が参加できるワールドカフェ(双方向の懇話会)を開催する。
何回か、そんなセッションでファシリテーターとしてお手伝いしました。
効用は絶大です。
医療職者は、参加した市民の人々の意外な悩みを知り、以降の日常診療に大いに役立ったと話されます。
参加市民は、主催した先生方の人となりを垣間見ることができ、信頼を寄せることができたと話されます。
これからの医療を正しく進めるためには、
パターナリズムに陥らない、人と人としての正しいコミュニケーションを取ることが重要だと考えます。
そして、このことが信頼獲得と、かかりつけ医への近道だと信じています。
もしワールドカフェ方式の懇談会を開催したい、とお考えであれば、
いつでもご支援させていだきます。
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